vol.28 町屋エリアの今昔

TODEN PEDIA

ちょっとキザで王子キャラの「都電先生」が、東京さくらトラム(都電荒川線)に隠された秘密や知られざる魅力をレクチャー

教えて、都電先生!

Profile都電先生

都電先生

都電をこよなく愛し、日々街をそぞろ歩きながら悠々自適に暮らしている少し謎めいた青年。アンティークやクラシカルなものが大好きで、ちょっとキザな口調が特徴。

年齢:永遠の28歳
趣味:純喫茶巡り
好きな花:都電沿線に咲くバラ。「荒川二丁目停留場周辺」のバラが特にお気に入り。

町屋エリアの今昔

町屋エリアの今昔

江戸時代は農村だった町屋は、路面電車や鉄道の駅とともに大きくなった街。3路線が交差する利便性の高さと昔ながらの下町のにぎわいが共存するエリアです。

 

ビルや商店がぎゅっと集まるにぎやかな街

町屋は、東京さくらトラム(都電荒川線)、東京メトロ千代田線、京成本線の3つの駅を中心に、ビルや商店、住宅がぎゅっと集まった活気あるエリアなんだ。まちやアベニューや町屋駅前銀座商店街のお店が並ぶ大きな通りを入ると、細い路地もたくさんあるから、探検気分で街歩きを楽しめるよ。都電荒川線の町屋駅前停留場やその近くの軌道沿いは、都電名物のバラのスポットとしても人気なのさ。

都電先生

路面電車の開通とともに市街地に発展

町屋エリアには、1913(大正2)年に王子電気軌道(東京さくらトラムの前身)の路面電車が走り始めたんだ。電車が走り始めたことで、江戸時代は農村だった町屋も、家や商店が集まる街になっていったんだ。町屋駅前停留場ができたのは、1927(昭和2)年のこと。都電荒川線の中でも珍しい、地域の人たちの要望でつくられた停留場なんだって。1931(昭和6)年には京成電気軌道(現・京成電鉄)の駅もできたよ。1969(昭和44年)に地下鉄千代田線の駅ができると、都心に向かう交通の便がさらに良くなり、生活に便利な街として人気を集めるようになったんだ。
町屋がある荒川区は、昔からたくさんの町工場があったんだ。その中でも町屋は鉛筆産業が盛んで、昭和20年代には鉛筆工場がいくつも集まっていたんだって。もう一つ、町屋に多かったのが、紙芝居を手描きでつくる作家さん。テレビが普及する前は、紙芝居は子どもたちにとって大きな楽しみの一つ。町屋から生まれたものが、日本中の子どもたちに笑顔を与えていたんだね。

1974(昭和49)年に27・32系統が一本化され、荒川線に改称。後方には京成本線の高架線が見える。

1974(昭和49)年に27・32系統が一本化され、荒川線に改称。
後方には京成本線の高架線が見える。

映える撮影スポット

西ヶ原四丁目停留場付近の交差点

「こんなところに電車が!?」と思わず驚いてしまうほど細い路地を走る都電を撮影できるのは、西ヶ原四丁目停留場付近の交差点。この辺りは昔ながらのたばこ屋や文具店など、こぢんまりとした商店が点在する落ち着いた雰囲気の住宅街です。都電が地元の人々の暮らしととても近い距離にあることがよくわかります。