vol.22 早稲田エリアの今昔

TODEN PEDIA

ちょっとキザで王子キャラの「都電先生」が、東京さくらトラム(都電荒川線)に隠された秘密や知られざる魅力をレクチャー

教えて、都電先生!

Profile都電先生

都電先生

都電をこよなく愛し、日々街をそぞろ歩きながら悠々自適に暮らしている少し謎めいた青年。アンティークやクラシカルなものが大好きで、ちょっとキザな口調が特徴。

年齢:永遠の28歳
趣味:純喫茶巡り
好きな花:都電沿線に咲くバラ。「荒川二丁目停留場周辺」のバラが特にお気に入り。

早稲田エリアの今昔

早稲田エリアの今昔

明治時代から現在まで、たくさんの学生が行き交う早稲田エリア。都電の最盛期には3つの路線が街を行き交い、都心と学生街を結ぶ便利な足として親しまれていました。

 

個性的な飲食店や商店が並ぶ活気ある学生街

早稲田大学のキャンパスに通うたくさんの学生さんでにぎわう早稲田の街。リーズナブルでボリュームたっぷりの定食屋さんや、こだわりが詰まったおしゃれなカフェや雑貨屋さん、幅広いジャンルの本が並ぶ古本屋さんなど、個性的なお店が軒を連ねる活気あふれる学生街だよ。

個性的な飲食店や商店が並ぶ活気ある学生街

最盛期は都心とつながる3つの路線が走る

早稲田を路面電車が走り始めたのは、東京市電の停留場ができた1918(大正7)年のこと。1930(昭和5)年には王子電気軌道の路線も早稲田を通るようになり、早稲田大学などに通うたくさんの学生が路面電車を利用するようになったんだ。当時から、大学の周りには学生さん向けの下宿、飲食店、本屋さんなどが集まり、今につながる学生街ができていたんだんだって。戦後、都電が最盛期を迎えるころになると、早稲田には、飯田橋や大手町を通って茅場町へ向かう15系統、大塚と王子を経て荒川車庫前へ向かう32系統、本郷、上野を通って隅田川の厩橋へ向かう39系統の3つの路線が走っていたんだよ。

1967(昭和42)年、自動車の普及や激しい道路渋滞など交通事情の変化の波を受けて都電の路線廃止が始まり、1968(昭和43)年には早稲田を走っていた3路線のうち15系統と39系統が廃止されたんだ。残された32系統は、27系統の一部と統合して現在の東京さくらトラムに生まれ変わったのさ。廃止されてしまった2路線も、15系統の一部は都バス飯64系統、39系統の一部は都バス上69系統に姿を変えて、今もたくさんの人を運んでいるんだよ。

早稲田停留場から飯田橋や大手町を通って茅場町へ向かう15系統。当時の早稲田停留場は今の停留場とは少し離れた場所にあった。

早稲田停留場から飯田橋や大手町を通って茅場町へ向かう15系統。
当時の早稲田停留場は今の停留場とは少し離れた場所にあった。

1968(昭和43)年に廃止された15系統。現在ではその一部が飯64系統の都バスの運行ルートになっている。写真は早稲田停留場付近で都電と併走する様子。

1968(昭和43)年に廃止された15系統。
現在ではその一部が飯64系統の都バスの運行ルートになっている。
写真は早稲田停留場付近で都電と併走する様子。

映える撮影スポット

都電おもいで広場

荒川車庫前停留場のすぐ目の前にある「都電おもいで広場」には、「5500形」や「旧7500形」といった貴重な都電の旧型車両が展示されています。車窓からのぞくかわいらしい運転手さんは、東京さくらトラム(都電荒川線)のマスコットキャラクター「とあらん」。昔懐かしい停留場の雰囲気を感じられる写真が撮れるので、ぜひお立ち寄りください。

都電おもいで広場についてはこちらをご確認ください。