ちょっとキザで王子キャラの「都電先生」が、東京さくらトラム(都電荒川線)に隠された秘密や知られざる魅力をレクチャー
都電をこよなく愛し、日々街をそぞろ歩きながら悠々自適に暮らしている少し謎めいた青年。アンティークやクラシカルなものが大好きで、ちょっとキザな口調が特徴。
年齢:永遠の28歳
趣味:純喫茶巡り
好きな花:都電沿線に咲くバラ。「荒川二丁目停留場周辺」のバラが特にお気に入り。
町屋二丁目停留場と東尾久三丁目停留場は、住宅や町工場が集まる下町の停留場。軌道沿いにはバラが植えられ、路面電車が走る街並みに彩りを添えています。
町屋二丁目停留場と東尾久三丁目停留場が開業したのは、1913(大正2)年のこと。東京さくらトラム(都電荒川線)の前身・王子電気軌道の町屋停留場と下尾久停留場として誕生したんだ。町屋停留場は、王電が東京市電に編入された1942(昭和17)年に「町屋二丁目」に名前が変わったんだ。下尾久停留場は、戦後に住所表示が変更になったのに合わせて、「尾久町一丁目」「東尾久三丁目」と名前が変わっているよ。
2つの停留場の最初の名前になった「町屋」と「下尾久」は、どちらも江戸時代には村の名前だったんだ。江戸時代は田畑が広がる農村地帯で、今の隅田川沿いの尾久の原は、サクラソウ(桜草)の名所だったとも言われているよ。王電が開通したことで少しずつ住宅が増え始め、関東大震災後には当時の東京市内から大勢の人が移り住んで大きな街になったんだ。
『江戸遊覧花暦 4巻』(須原屋伊八ほか1名、1837年)
国立国会図書館デジタルコレクション
東尾久三丁目停留場の近くには、「キヌ電通り」という道があるんだ。「キヌ電」は、かつてあった電力会社「鬼怒川水力電気」のことだよ。1910年代、キヌ電通りの近くに変電所が建てられ、約120km離れた鬼怒川の水力発電所から尾久の変電所まで電気が送られていたんだ。鬼怒川から届いた電気は、東京市電に供給されていたんだって。
尾久の原防災通り
都電荒川線の軌道と交差する道路。太平洋戦争中、空襲による延焼防止のため、周囲の建物を取り壊して拡幅された道で、「疎開道路」とも呼ばれていました。現在は、無電柱化、広い歩道の確保などの整備が行われ、防災性の高い通りになっています。
住所:東京都荒川区東尾久6丁目~東尾久1丁目
アクセス:東尾久三丁目停留場から徒歩2分
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