vol.34 熊野前エリアの今昔

TODEN PEDIA

ちょっとキザで王子キャラの「都電先生」が、東京さくらトラム(都電荒川線)に隠された秘密や知られざる魅力をレクチャー

教えて、都電先生!

Profile都電先生

都電先生

都電をこよなく愛し、日々街をそぞろ歩きながら悠々自適に暮らしている少し謎めいた青年。アンティークやクラシカルなものが大好きで、ちょっとキザな口調が特徴。

年齢:永遠の28歳
趣味:純喫茶巡り
好きな花:都電沿線に咲くバラ。「荒川二丁目停留場周辺」のバラが特にお気に入り。

熊野前エリアの今昔

熊野前エリアの今昔

路面電車の開通をきっかけに発展が始まり、今は東京さくらトラム(都電荒川線)と日暮里・舎人ライナーが交わる熊野前エリア。元気な商店街や大学のキャンパスにたくさんの人々が集います。

 

下町の人情味あふれる商店街

都電荒川線の熊野前停留場の一帯は、下町の人情味を感じるお店や街並みが楽しめるエリアなんだ。停留場のそばには熊野前商店街(はっぴいもーる熊野前)やおぐぎんざ商店街があり、地元に愛されるお店がたくさん並んでいるよ。熊野前商店街では、サンバパレードで有名な「熊野前カーニバル」、青空の下でヨガを楽しめる「ヨガフェス」などのイベントも人気なんだって。熊野前停留場の近くには、東京都立大学の荒川キャンパスもあり、停留場の副名称にもなっているよ。都電荒川線と日暮里・舎人ライナーが交差する熊野前交差点は、両方の電車を1枚の写真に収められる撮影スポットとしても知られているのさ。

熊野前商店街(はっぴいもーる熊野前)

熊野前商店街(はっぴいもーる熊野前)

路面電車の開通をきっかけに発展

熊野前エリアを含む一帯は「尾久」と呼ばれていて、江戸から明治にかけて、江戸や東京の人々の食を支える野菜の産地だったんだ。「熊野」は昔近くにあった熊野神社が由来だと言われているよ。
のどかな農村だった熊野前が変わり始めたのは、1913(大正2)年に王子電気軌道(都電荒川線の前身)の路面電車が飛鳥山と三ノ輪橋間に開通したことがきっかけなんだって。大正時代の半ばには、近くの隅田川に「熊野の渡し」という渡し船もできて、熊野前は人やモノがたくさん行き交う場所になったんだ。家や工場が増えた熊野前は、尾久村の中心地として栄えていったんだよ。
太平洋戦争が始まった約4カ月後の1942(昭和17)年4月には、今の尾久橋付近がアメリカ軍の空襲で被害を受けたんだ。これが、日本の本土が初めて受けた空襲だったんだって。その後も何度も空襲があって一帯は大きな被害を受けたけど、地域の人々の力で復興して今のにぎやかな街が生まれたんだ。

都電先生

映える撮影スポット

「あらかわ遊園」

荒川遊園地前停留場から徒歩約3分の「あらかわ遊園」。停留所の前では、観覧車がモチーフのカラフルでかわいらしいオブジェが出迎えてくれます。ゆっくりと走る都電の車内からシャッターを切れば、懐かしさとやさしさがあふれる風景にきっと心が和むはずです。